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福岡の「喜努哀楽」を伝える / 武田 伊央
武田 伊央 IO TAKEDA
2017年入社
制作局 アナウンス部
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納得、満足することがなく
常に理想を追い求める日々
一口に「話す」といってもテレビとラジオ、さらに生放送と収録があります。具体的には『今日感テレビ』への出演、ニュースでの報道、ラジオのパーソナリティー、イベントMC、朗読会での語りなど毎日仕事を掛け持ちしていて、1日中デスクにいることはほとんどありません。
アナウンサーは華やかなイメージを持たれがちですが、その裏で多くの地道な努力が求められます。少しでもわからないことがあれば徹底して情報を集めますし、日本語の正確さや言葉のアクセント、話のテンポやトーン、共演者との間合いなどさまざまことに気をつけなければならないからです。そうしたことをキャリア数十年の大先輩でさえ追及し続けていて、私も入社して「よし、今日はうまくできた」と思えたことは一度もなく、毎日が反省の連続です。
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マイクを通して
出会いたいもの、伝えたいこと
入社2年目、仕事に自信を失いかけていた私にとって光となったのが、幼いころから親しんできた博多祇園山笠でした。中継を終えて思うようにできなかったことを反省している私に、観ていた方が「すごく気持ちが伝わってきた」と声をかけてくださったのです。上手に、そつなくまとめるだけでなく、“これが好きだ”“これを伝えたい”という情熱を持つことが大切だと気づきました。そのことをこれからも忘れず、福岡の喜怒哀楽に共感し、福岡に住む皆さんに寄り添っていきたい。山笠の魅力や熱気を届けたり、ホークスの優勝を喜び合ったり、事件や災害に遭った方々の声に耳を傾けたり、伝えることと伝わること、つながることの大切さを常に意識してマイクに向かいたい。取材先から学ぶことも多く、ある職人さんがおっしゃった言葉が今も胸に残っています。「日々の仕事を漫然こなすのではなく、小さくてもいいので目標を見つけ取り組むことで、1年後に違った“景色”が見られるようになる。毎日100%の力で準備をするから70%の力でも完璧に仕上げられるようになる」。日々成長しながら、いつも自然体で身近に感じてもらえる存在でありたいです。
休日の過ごし方
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家でいろいろな旅行本を読んだり、仕事でも使えるアクセサリーを無心で作ったり、もともとインドア派です。でも、大好きな写真を撮るためだったら一眼レフのカメラを持って一人で海外に行くこともあります。福岡でも、話題のパン屋さんやカフェを巡ったり、ストレス発散を兼ねて衣装を探しに行ったりとずいぶん行動派になりました。
異国の地で再認識した
テレビの役割と報道の使命
私の人生を決めたのは2015年11月13日、留学先のパリで起こった同時多発テロ事件でした。“騒々しいけど何かあったのかな”。と、カフェのテレビを覗くと近くの店が襲撃されたとわかり、どう行動すべきかを判断することができました。その時に思ったのです。重大な情報をいち早く、多くの人に届け、時に人の命を救うこともできるテレビ。漠然と持っていた「生まれ育った福岡の街に役に立つ人になる」という目標を、この仕事だったら叶えられると。アルバイトスタッフとして参加した際に人との触れ合いがとても楽しかったイベントを たくさん主催していて、報道にも強いと言われているRKBの採用試験を受けに帰国しました。結果的に、面接の練習にと応募したアナウンサーとして採用され、今は報道とイベントの両方にかかわっています。